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国姓爺合戦  平成27年2月文楽公演・第3部  国立劇場小劇場 [文楽]

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今年は旧正月が2月半ばなので、日本国中に中国人観光客があふれかえっている感じである。日中関係が険悪とはいうものの、それは政府間だけのことであって、少なくとも来日している一般人にはそうした意識はあまりなさそうだ。と言うより、むしろ大好きなのでは?と思えてならない。地元の駅前のラーメン屋に日本式のラーメンと中国語の看板が下がり、中国人が大行列だったのは驚いた。

亡くなったドイツ・ワインゼッカー大統領の演説から

罪が有ろうと無かろうと、我々は過去を受け継がなければならない。
若者と老人は、戦争の記憶を生々しく保つ事の重要性について、理解しなければならない
それは過去に目をとずる者は、現在にも盲目となる

今の日本は、70年以上前のことに目を閉ざそうとしている。こうした中国人の観光客が訪れる時期だからこそ、お互いに理解し合うことが大切なのかもしれない。見方によっては、微妙な具合、中国人にとっては屈辱的とも思える演技で笑いを誘ったりする場面もないではない『国姓爺合戦』ではある。文楽に限っては、あまりそうした事を言い出さないし、古典芸能であれば、多少のことは問題にならないというよりも、世間一般はほとんど注目していないということだろうけれど。さすがに3月まで上演が続くとはいうものの、寒い時期の三部制で目玉がないとなれば、客足も鈍くなるのは仕方がない。こんな時こそ劇場へ足を運ぶのが本当の文楽ファンなのだと思う。

「千里が竹虎狩りの段」は、若手中心の舞台。着ぐるみの虎の登場で客席がわいたが、伊勢神宮のお守りで虎がおとなしくなるという馬鹿馬鹿しさがなんと素敵である。

「楼門の段」は呂勢大夫と清治、「甘輝館の段」は千歳大夫と富助、「紅流しより獅子が城の段」は咲甫大夫と宗助と、これから期待される大夫が登場で大いに楽しんで聴くことができた。彼らに文楽の将来を託すしかないのである。呂勢大夫の三味線が清治だったのも、そうした展望があってのことだと思った。

甘輝が玉女、錦祥女が清十郎、和藤内が玉志とこちらも文楽を支えていくであろう人々の出演。初日で客席に住大夫がいたこともあってか、緊張感があってよい舞台だったと思う。そうした緊張からか第3部ではないが、口上の黒衣が大夫の名前を忘れてしまって立ち往生。プロンプター?に助けられるという珍事もあった。長い文楽の観劇の中でも2回目のことだった。よほど緊張していたのだろう。

チケットが売れていないのは、逆に考えれば、観たくても観られなかった人が文楽を体験するチャンスでもある。今回は外国人観光客の姿もあったし、2020年の東京オリンピックに向けてさらに増えていくことだろう。日本にしかない古典芸能は、観光客誘致の大きな武器になるはずである。そんなことに気がつかない大阪の市長は大馬鹿者である。


タイムテーブル

配役

<第三部>6時開演

 国性爺合戦
    千里が竹虎狩りの段
    楼門の段
    甘輝館の段
    紅流しより獅子が城の段

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花競四季寿 天網島時雨炬燵 平成27年2月分楽公演・第2部 国立劇場小劇場 [文楽]

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文雀が初日から『関寺小町』を休演してしまって寂しい公演になってしまった。真冬の3部制ということで、かつてのように満員御礼とはならなかったようである。それでも三味線に寛治が出演する『花競四季寿』は音楽的に楽しめたし、それぞれ趣向の異なった踊りで退屈することも無く観ることができた。しかし、傑出した芸の持ち主は見当たらず淡々と舞台が進んでいった印象。

『天網島時雨炬燵』の「紙屋内の段」は、中が咲甫大夫と喜一朗、切が嶋大夫と錦糸、奥が英大夫と清介。嶋大夫も良かったが、天使の贔屓である英大夫の魂のこもった語りに聴き入った。彼が登場すると盛んに声が掛かるが、単なる贔屓の声援という形ではなく、心底彼の芸にほれ込んだ人達が掛けている感じなのがよい。ただし、長時間に渡る舞台で何が印象に残ったかと問われると困ってしまうほど盛り上がりに欠けていて、一体に何を聴き観たのか思い出せないでいる。それほどの芸を持った人がいなくなってしまったということなのだろうか。

人形は4月に玉男を襲名する玉女の治兵衛、和生の女房おさん、蓑助の紀の国屋小春だが、それぞれ内輪内輪に演じるため、突出した芸は観られなかったけれど、それぞれの秘められた心の中を的確に表現していたので、かえって作品の持つ力が浮かび上がったようだ。今後の文楽はスタンド・プレイよりもチームワークが大切ということなのだろう。


<第二部>2時30分開演(午後5時21分終演予定)

 花競四季寿
    万才・海女・関寺小町・鷺娘

 天網島時雨炬燵
    紙屋内の段

タイムテーブル

配役

【第二部】
『花競四季寿』
 万才/海女/関寺小町/鷺娘
  太夫と才蔵が新年を寿ぐ<万才>、海女が浜辺で恋を歌う<海女>、秋の野原で老いた小野小町が昔を愁う<関寺小町>、春を待つ鷺の化身が舞う<鷺娘>…四季を情緒豊かに表現した舞踊作品です。

『天網島時雨炬燵』
 紙屋内の段
 近松門左衛門の名作「心中天網島」をもとに近松半二が改作した世話物で、治兵衛の悲劇が明確に描かれます  妻子有る身にもかかわらず遊女小春と心中の約束をしている紙屋治兵衛。小春が恋敵の太兵衛と一緒になるつもりと聞いた治兵衛は心変わりを恨みます。これを知った妻のおさんは、小春が死ぬ気だと言い出します。小春へ治兵衛と縁を切るように頼んだことに責任を感じたおさんは、小春を請け出そうとします。しかし、父五三衛門はおさんを実家へ連れ戻してしまうのでした。やがて治兵衛と小春はおさんが尼になったことを知り、おさんの不便さを嘆きます。そして小春がここにいることを責める太兵衛を殺してしまった治兵衛は進退窮(きわ)まり、小春とともに最期の場所網(あみ)島(じま)へ向かうのでした。

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二人禿  源平布引滝 平成二十七年二月文楽公演・第1部 [文楽]

文楽の公演を初日に通しで観た。客席には引退した住大夫さんご夫妻が第1部から第2部までおられ、ずっと舞台を見守っておられた。これでは出演者に緊張するなという方が無理で、非常に張り詰めた空気の舞台だった。文楽の世代交代が一気にすすみそうで、興行としては辛い時期なのだろうが、舞台成果は上々で満足できるものだった、さすがに住大夫さんが見守っていると思うと、観客も緊張感をもって観るしかないので、集中力を途切れさせることがなく観られた。

『二人禿』は旧暦のお正月を迎えるこの時期にふさわしい演目。若手の活躍をのんびり眺めていたら、肩の力を抜いてみていたおかげか、楽しめる舞台になった。

『源平布引滝』は、「矢橋の段」から「竹生島遊覧の段」をはさんで「九郎助内の段」まで。「竹生島遊覧の段」は、清軌の三味線に津國大夫、南都大夫、文字栄大夫、亘大夫、始大夫らで語られた。住大夫の弟子である文字栄大夫は、天使の贔屓だった貴大夫と同様に、あまり声質も恵まれず、語る部分も少ないのだが、毎回毎回、一所懸命に舞台を務めている姿に心動かされるものがある。同じ弟子でも文字久大夫の方に大きな役がついてしまっているのは残念だが、密かに応援しているファンがいることを知ってくれたら嬉しい。

「九郎助内の段」は、中を靖大夫と清丈、次を松香大夫と清友、切を咲大夫と燕三、後を文字久大夫と藤蔵で語り継がれていった。それを聴きながら文楽の魅力は色褪せるものではない、再び文楽は興隆するに違いないと確信した。大夫は登場人物の心の叫びを表現しようとし、三味線は音で全世界を表現しようとする。その面白さは限りがないものだと感じさせられた。たとえ名人上手の表現者がいなくとも、十分にその魅力は伝わってくるのである。感動できる時代物を聴いて大いに将来が楽しみになった。

人形は紋壽の小まん、勘十郎の実盛を中心として若手から中堅までが健闘。この時期、首が斬られるのは見ていて心持の悪いものだが、人形だと残酷さが薄められることと、テンポよくドラマが進行してくれるので、最後は嫌なことも何もかも忘れて、勘十郎の実盛の爽やかさに救われた想いがした。歌舞伎でも同じ題材が人気演目として上演されるが、余計な思い入れや入れ事がないだけに、哀れさや、心の高揚感が増幅されるようで、より舞台で繰り広げられる世界に入り込みやすいようだ。



<第一部>11時開演(午後1時53分終演予定)

 二人禿

 源平布引滝
    矢橋の段
    竹生島遊覧の段
    九郎助内の段   

タイムテーブル

配役

あらすじ
【第一部】
『二人禿』
 遊女に仕える禿を描いた舞踊です。数え歌、羽根つき、鞠つき…楽しそうな少女の歌声が春の日差しの穏やかな廓(くるわ)に聞えてきます。

『源平布引滝』
 矢橋の段/竹生島遊覧の段/九郎助内の段
 「平家物語」に名高い、平家の武将斎藤実盛が篠原の合戦で髪を黒く染めて手塚太郎光盛に討たれた背景を解き明かす名場面です。  九郎助の家では、身重の源義賢の妻葵御前を匿(かくま)っています。実盛と源氏の残党詮議にやってきた瀬尾に九郎助は拾った腕を葵御前が産んだとして差し出します。その腕は九郎助の娘小まんのものでした。実盛は小まんの腕を切った事情を物語ります。折から木曽義仲となる駒王丸が誕生、実盛は小まんの遺児太郎吉を手塚太郎光盛として仕えさせることにしました。瀬尾は源氏に心を寄せる実盛を罵(ののし)り、腕を足蹴に。そこを太郎吉に刺されます。実は小まんは瀬尾の子、太郎吉に源氏の侍として手柄を上げさせたのです。実盛は太郎吉に戦での再会を約して別れるのでした。

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伽羅先代萩 紙子仕立両面鑑  十二月国立劇場文楽公演 [文楽]

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この12月で初めて文楽を観てから36年になる。それから、ほぼ毎回舞台を観続けてきたことになる。

その時の演目と出演者は以下の通りである。

一、菅原伝授手習鑑

   豊竹 英大夫
   鶴澤 浅造

二、傾城恋飛脚 新口村の段

   口 竹本 文字栄大夫 竹澤 弥三郎
   前 豊竹 嶋大夫  鶴澤 清介
   後 豊竹 小松大夫 竹澤 団二郎

三、鳴響安宅新関 勧進帳の段
   
  武蔵坊弁慶  豊竹 呂大夫
  富樫之介正広  竹本 相生大夫
  源義経 豊竹松香大夫
  伊勢三郎 竹本 津駒大夫
 駿河次郎 竹本 貴大夫
  片岡八郎 竹本 南司大夫
  常陸坊海尊 竹本 文字登大夫
 番卒 竹本 三輪大夫
 番卒 竹本 津国大夫
  梶下左忠太 竹本 緑大夫
  
  三味線
   鶴澤 清治
 鶴澤 清友
 鶴澤 燕太郎
 鶴澤 八介
  野澤 錦弥
 竹澤 弥三郎
  鶴澤 浅造

36年経って、廃業してしまった人、亡くなった人、現在も活躍している人など様々である。天使が初めて聴いた大夫は英大夫だった。そして大好きだった貴大夫も『勧進帳』に出ていたのである。2007年11月9日になくなっているので、もう7年になる。もし生きていたら、どのように語ってくれていただろうか。その当時とあまり変わらなかったかもしれないが、永年応援していただけに残念である。文楽はなんとも長い長い時間を必要とする芸だろう。今月の舞台に立っている技芸員の35年後を見届けることはできないだろうが、文楽がますます繁栄することを祈念したい。

今月の両演目とも、なかなかの大曲、難曲ではあるけれど、将来の文楽を任せられるべき人達の活躍でいずれの演目も面白く観られた。ともかく懸命に語り、演奏し、遣っている姿に感動させられるのである。この数年、幾多の危機が襲ってきたが、楽観は許されないものの、文楽の将来はあかるいのではないかと思った。

大夫では、咲甫、津駒、呂勢、千歳といったところが目立っていたし、人形も勘十郎、玉女、和生といったところが、期待に応じた活躍をみせた。また抜擢された若手も、緊張感が客席にも伝わってくるようで、なんとも新鮮な舞台をみせてもらったように思う。

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タイムテーブルのご案内

配役
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 双蝶々曲輪日記 9月文楽公演・第1部 国立劇場・小劇場 [文楽]

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年に4回しかない文楽の東京公演のうち、九月の三部制になってしまっては、細切ればかりの上演になってしまうのではという危惧があったのだが、上演時間も料金も異なり、それぞれターゲットとなる観客層に向けてという意図が成功した上演となった。

12月は初心者向けの公演だが、それ以外にも初心者向けといえる第二部のような上演形態は賛成だし、外部のプロデュース公演で新たな試みに挑戦するばかりではなく、本家本元も古典の枠組みを壊さずにここまで出来るということを証明してみせた第三部も魅力的だった。そうした中で、大相撲の九月場所があり、中秋の名月があるという季節的にもふさわしい『双蝶々曲輪日記』が10月の歌舞伎公演と連動して上演されたのは意義深いことである。

なぜか天使は豊国の描いた『双蝶々曲輪日記』 の「米屋」の浮世絵を持っている。歌舞伎でも文楽でもなかなか取り上げられない場面なので、今回の連続上演は非常に楽しみなのである。

三味線の人間国宝の寛治が休演して、孫の寛太郎が「米屋の段」を代演したほかは、人形も大夫も三味線も住大夫と源大夫の引退という、様々な意味で危機に直面しているというのを実感してか、誰にも並々ならぬ気迫を感じた。そうした空気を察知して思わず姿勢を正して聴かねばと集中できた。そして、こうして文楽を見物できるのは、もしかしたら最後なのかもしれない。いや、今日という舞台は最初で最後だという覚悟で臨まなければ、出演者に申し訳ないとさえ思った。

人形でいえば蓑助だし、嶋大夫、咲大夫には、観るべきものがあり、聴かせるものがあると感じた。芸の奥深さは、短時間で達成できるようなものではなく、一生を賭けても届かないかもしれないという厳しさは引退した二人の大夫の例をあげるまでもなく、多くの観客が感じていることである。この三人には積み上げてきたものを、観客に向かって発する場としての劇場は、祈りにも似た思いの交錯があったように思う。

「米屋の段」では、三人の父親の愛情あふれた想い。「引窓の段」では年老いた母親の切な過ぎる必死の想い。それらは、出演者と観客の間に飛び交う想いと同じように、舞台からあふれ観客の胸の奥底まで届いたようだった。

<第一部>11時開演
 双蝶々曲輪日記

    堀江相撲場の段 11:00~11:20
       
       長五郎 松香大夫
       長吉  睦大夫
            團吾

       長五郎  吉田玉也
       放駒長吉 吉田幸助

    大宝寺町米屋の段 11:23~12:21  
    
       靖大夫/清丈
       津駒大夫/寛太郎
     
    難波裏喧嘩の段   12:22~12:42

       長五郎    津國大夫
       郷左衛門  始大夫
       有右衛門  文字栄大夫
       吾妻     南都大夫
       与五郎   咲寿大夫
       長吉    小住大夫
              喜一朗
 
   姉お関 吉田勘彌   
   濡髪長五郎 吉田玉也
   山崎与五郎 吉田文司
   藤屋吾妻  豊松清十郎

《休憩 25分》

    橋本の段  13:07~14:10

    嶋大夫/錦糸

    嫁お照   吉田一輔
    下女およし 桐竹紋臣
    駕籠かき甚兵衛 桐竹勘十郎
    駕籠かき太助  吉田玉勢
    山崎与五郎  吉田文司
    藤屋吾妻  豊竹清十郎
    橋本治部右衛門 吉田玉女
    山崎与次兵衛 桐竹勘寿

《休憩 10分》

    八幡里引窓の段 14:20~15:30

    呂勢大夫/清友
    咲大夫/燕三

女房おはや  吉田蓑助
    長五郎母   桐竹紋壽
    濡髪長五郎  吉田玉也
    南方十次兵衛 吉田和生
    平岡丹平    吉田蓑一郎
    三原伝蔵    吉田勘市
    

<第一部>
1等席 6,700円(学生4,700円)
2等席 5,300円(学生2,700円)
3等席 1,500円(学生1,100円)

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近江源氏先陣館 日高川入相花王 9月文楽公演・第2部 国立劇場・小劇場 [文楽]

三部制とはいいながら、第一部は10月歌舞伎公演と連動した演目である『双蝶々曲輪日記』の通し上演。第三部はシェイクスピアを原作とした新作文楽。従来の三部制らしい短い時間と手頃な料金で名作を揃え文楽に親しめるのは第二部である。16時に始まって18時30分に終演というのは、なんとも中途半端な気がしないでもないが、10分の休憩を入れて2時間30分の上演時間に収めるというのは好企画である。

『近江源氏先陣館』は、母微妙を遣う文雀を除いては人間国宝の出演はなく、中堅に活躍の場が与えられたという感じである。咲甫大夫、千歳大夫、文字久大夫と引き継がれていく。次代の文楽を背負って立つべき俊英たちの出演である。いずれも日頃の修業の成果が出て上出来なのだが、師匠の住大夫が引退してしまった文字久大夫が、「盛綱陣屋の段」の後半を語って素晴しい。住大夫のドキュメンタリーでは、徹底的にしごかれる役回りで気の毒なほどだったが、その甲斐あっての成長とあれば、師匠への恩返しが出来たといったところだろう。人物描写が的確で、登場人物の気持が手に取るように理解できるなど、なかなかないことである。人形では盛綱を遣った玉女が大きく、思慮深さを感じさせて、こうした役柄は今後はこの人に委ねられるのだろうなと思った。

文雀の微妙は身体の動きに不安を抱かせながらも最後まで破綻することなく、早瀬の勘彌、篝火の勘壽など、これまでなかなか注目されてこなかった人々が、実はかなり高度な表現力と技術を持っていることに気づかされた格好である。

『日高川入相花王』は、有名な物語であり、蛇体の仕掛けなど派手な見せ場もある割りに上演時間が短いということもあって、地方公演で取り上げられることが多い。今回も初心者が多いであろうという想定のもとに取り上げられたのかもしれない。

清姫を遣った蓑二郎も、あまり脚光を浴びてこなかった人の一人だと思うのだが、他の中堅の人々と同じく地道な努力が実を結んだという風で、文楽の将来へけっして暗くないと確信させてくれた。

そして客席。他のジャンルの劇場の観客に比べ、舞台への集中力ということであれば一番なのではないだろうかと思った。その姿は、教会に集うクリスチャンと重なって見えた。少なくとも文楽を観なくても、生きていく上には何も支障がない。たぶん大多数の日本人は、劇場で文楽を一度も観ることなく死んでいくのである。劇場に文楽を観に来る人達は、本当に文楽が好きでたまらなくて来るのである。手に入りにくいチケットを、それこそ涙ぐましい努力の末に手配しているのである。

教会の礼拝に参加するクリスチャンも、日本人の中では絶対の少数である。だが、彼らも日曜日の度に教会に行かないではいられないのである。クリスチャンではない人には全く理解されない行動である。真摯に神に祈る姿と、舞台を食い入るように見つめる人々に何か共通のものがあるように思えたのである。

もっとも肝心な時に、寝てしまうような人がいるのも同じなのだけれど。そこへ、文楽に全く興味のない人がドカドカと土足で踏み込んだからといって簡単に理解できるような世界ではないのである。謙虚になって、舞台に対峙する姿勢を求められるのが文楽だと強く感じた。字幕もあり、床本付のプログラムあり、イヤホンガイドあり、しかも他のジャンルに比べて安い料金と至れり尽くせりであっても難しい。「縁なき衆生は度し難し」で、どこかの市長のように傲岸不遜な言動しかできないとなれば悲しいことではある。だが、少なくと第二部を見る限り、文楽は滅びないし、滅びさせない。絶対に。

<第二部>4時開演
近江源氏先陣館
    和田兵衛上使の段 4:00~4:25

    咲甫大夫/宗助

    盛綱陣屋の段   4:26~5:55 

    千歳大夫/富助
    文字久大夫/清介

母微妙 吉田文雀
妻早瀬    吉田勘彌
佐々木盛綱 吉田玉女
小三郎    吉田蓑次
小四郎    吉田玉翔
和田兵衛秀盛 吉田玉志
高綱妻篝火 吉田勘壽
 
<休憩10分>

日高川入相花王
    渡し場の段     6:05~6:30  

    三輪大夫/芳穂大夫/希大夫/小住大夫/亘大夫
    團七/清馗/寛太郎/錦吾/清允

清姫 吉田蓑二郎
船頭 吉田玉佳


<第二部>
1等席 5,900円(学生4,100円)
2等席 4,800円(学生2,400円)
3等席 1,500円(学生1,100円)
   

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不破留寿之太夫 9月文楽公演・第三部  国立劇場小劇場の [文楽]

九月の文楽公演は3部制とはいうものの、これまでと違って上演形態、上演時間、料金もそれぞれ異なる企画となった。11時開演で15時30分終演の第一部は、これまでの二部制と同じ公演形態で、通し上演スタイルの『双町蝶々曲輪日記』で嶋大夫の「橋本の段」、咲大夫の「引窓の段」がそれぞれ素晴しく見ごたえがあった。

第2部は上演時間が2時間30分で演目が二つという従来の三部制の形態で、中堅が活躍する『近江源氏先陣館』では文字久大夫が熱演で、師匠である住大夫引退で大きく成長したのかもしれない。短くとも見所の多い『日高川』も上演され初心者にも文楽というものを理解し親しんでもらうには、料金も上演時間も手頃で絶好の内容だったと思う。

そして今回最も注目されたのが、シェイクスピアの「ヘンリー四世」と「ウィンザーの陽気な女房たち」を原作とした『不破留寿之太夫』(ふあるすのたいふ)である。上演時間は80分で短い映画並み。料金は1等4,500円、2等3,600円、3等1,500円とお手頃価格ではあるが、三部と通しで観るとなると少々割高ではないかと感じていたが、終わってみれば、上演時間も、料金も適切で大いに満足した。

30分の休憩の間に、床の燭台は外され、床も大夫や三味線の肩衣も草原をイメージしたデザインが施されていて、定式幕ではなく緞帳が使用され、舞台面も黒く縁取りされていた。新作からなのか字幕表示はなく、劇場全体を劇世界に取り込むような美術で独特な雰囲気。

特筆したいのはまず音楽。三味線、琴、胡弓?などが使用され、お囃子も洋楽のパーカッションが多用され、洋風の味付けがされながら日本古典芸能から逸脱しない趣味の良さ。それは衣裳にもいえてヘソのピアスやイアリングは着物だと下品なのだが、この設定だと自然。美術、そして人形にまで新工夫が凝らされていたが古典を逸脱しない方向。シェイクスピアらしき人物も開幕時、居酒屋、幕切れなどに登場。小ネタでは居酒屋でプラット・ヴァレー・ストーンジャグに混じって響のボトルがあったのに個人的には受けた。お品書きの札に、ふぃっしゅ&ちっぷす、ふらいどちきん、びーふしちゅーなどがさりげなく置かれていた。

文楽には珍しい喜劇だが、全てがさりげなく、理解できた人だけが微笑むような仕掛けが満載で、これも文楽のコアなファンあってこそ。シェイクスピアらしい言葉遊びもあって楽しめる。「ヘンリー4世」や「ウィンザーの陽気な女房たち」を翻案上演という訳でもなく、シェイクスピアの研究者が古典芸能である文楽と上手く融合させたという印象。毒はないし、文楽以外のジャンルしか観ない観客には温すぎたかもしれないが、これ以上弄り回されては破壊されてしまうだろう。

喜劇という事で、文楽の大夫の中で最も相応しい大夫となれば、我が愛する英大夫しかいない。その重責をはたして見事な出来。清治らの三味線も大健闘である。勘十郎も最後は舞台から花道風に使用する通路に降りて人形を遣うなど苦労も多かったと思うが、それは十分に報われたようである。

<第三部> 19時開演 (終演20時20分)
 〔新作文楽〕
シェイクスピア=作
    「ヘンリー4世」「ウィンザーの陽気な女房たち」より
    鶴澤清治=監修・作曲
    河合祥一郎=脚本
    石井みつる=美術
尾上菊之丞=所作指導
    藤舎呂英=作調
  不破留寿之太夫(ふぁるすのたいふ)

大夫 豊竹英大夫
    豊竹呂勢大夫
    豊竹咲甫大夫
    豊竹靖大夫

三味線 鶴澤清治
     鶴澤藤蔵
     鶴澤清志郎
     鶴澤龍爾
     鶴澤清公

不破留寿之太夫  桐竹勘十郎
春若          吉田和生
居酒屋女房お早   吉田蓑二郎
蕎麦屋女房お花   吉田一輔
旅人          桐竹紋臣
居酒屋亭主      吉田勘市
蕎麦屋亭主      吉田玉佳

<第三部>
1等席 4,500円(学生3,200円)
2等席 3,600円(学生1,800円)
3等席 1,500円(学生1,100円)

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能と文楽  ゴスペル・イン・文楽「イエスキリストの生涯」  能「聖パウロの回心」  観世能楽堂 [文楽]


「東日本大震災 鎮魂と復興の祈りを込めて」と題された観世能楽堂で開催されたキリスト教をテーマとした文楽と能の公演にでかけた。

能は作家の林望が台本を書いた「聖パウロの回心」。初演は2年前に一般には非公開の学校公演だったらしいが、今回は前シテのサウロ(パウロ)と後シテのキリストを観世清河寿が演じた。野村萬斎による間狂言、オルガンを能楽堂に持ち込んでキリストが舞うなど意欲的な演出である。「吉利支丹能」と呼ばれるキリスト教教義をテーマとした能の復活をも目指したらしい。

文楽はクリスチャンである英大夫のライフワークである「イエスキリストの生涯」。役名は聖書のままだが、人形の衣裳や風俗は日本の江戸時代?のままという文楽にしか実現できない上演。イエス様の誕生、舟の上で嵐を鎮める奇跡、死人を蘇らせる奇跡、ユダの裏切り、ペテロがイエスを三度知らないというエピソード。
キリストの磔刑、そして復活。最後は「アーメン」の言葉で締めくくられるというダイジェスト版ではあっても文楽の大夫が語り、三味線、人形遣いと本格的な上演だった。

それでは何に一番感動したかというと、実は両方の上演よりも、ゴスペル・イン・文楽の前に「文楽解説」として語られたキリスト教についての話である。登場したのは高原剛一郎という中年の男性。自己紹介もなく、イエス様の生涯を語りだした。天使は、もちろんクリスチャンではない。あまりに宗教がかった話は困るなあと思ったのだが、どんどん話に引き込まれていって、いつの間にか泣いていた。

高原氏の言葉に力があったからである。確固とした信仰をもっている人の言葉だったからである。「言葉」こそ最も大切なものではないか。そんなことを思い出させてくれた凄いと思った。イエス様が最も貧しい状況でこの世に生を受けたこと。数々の奇跡を起したこと。そして自分から進んで十字架に架けられたこと。それがどんなに苦しく、恥辱に満ちた耐え難いものだったか。イエス様は避雷針と同じでその屋根の下で暮らす人を守るように 、我々の罪を引き受け死んだことなど。切支丹大名同士の戦で「戦場のメリークリスマス」があったことで笑わせて、非キリスト者をも感動させる高原剛一郎氏とは何者なのだろう。

高橋剛一郎氏の信仰に裏打ちされた「言葉」の力に比べれば、文楽も能も「言葉」の力はひ弱だったといわざるを得ない。キリスト教の福音を伝えるまでには至らなかった。

文楽の上演とはいうものの、能楽堂の限られた空間での上演であるので、通常の劇場公演と同じという訳にはいかない。舞台の上手?に舞台面より少々上に濃紺の布で覆われた台が置かれ、大夫と三味線が三人ずつ並ぶ。

舞台面は松羽目を隠すように雨戸?のような開閉できる板が置かれ、背後に人形が消えたり、そこから簡単な大道具が出されたりと能楽堂というハンディを感じさせない工夫がされていた。橋掛かりも半分は雨戸?に覆われ、五色の布の揚幕が引かれて人形が登場という趣向。人形もマリア様とイエス様以外は一人遣いという簡便さ。人形は能舞台の上で黒衣を着て全てをさらけ出した中で遣われた。

能楽堂に鳴り響く拍子木の音、三味線など新鮮に聴こえるのだが、肝心の義大夫は能楽師の朗々とした発声に比べると物足りなさが残る。それでも三味線の表現力の深さに助けられ、イエスキリストの生涯に思いをはせることができた。英大夫は本当に良い仕事をしている。

後半は舞台上の装置が取り除かれ、本格的な能を上演する形態に戻したが、舞台上手外にはオルガンが置かれていた。舞台中央には作り物が置かれ、布が取り払われると十字架が現れるという趣向。前解説で林望氏は、「能楽は自由」といい、「言葉はわかる」と言っていたが、残念なことに高原剛一郎氏ほどには、言葉が胸に迫ってこなかった。また、キリスト教を弾圧していたパウロが回心して熱心にキリスト教の布教に励むようになるという物語は、クリスチャンには馴染みの有名な話だが、「目からウロコ」の語源と初めて知るような観客には、いささか理解しがたい部分もあった。

能で一番感動したのは、能楽堂にオルガンが鳴り響いた瞬間で、空気がスッと変わって宗教的な空間に一変したのには驚いた。面白い試みで能にはできないことがないようである。

番組

お話し 林望(作家)
     西本 ゆか(朝日新聞社)

18:00~18:20

文楽解説  高原剛一郎

18:20~18:30

ゴスペル・イン・文楽
イエスキリストの生涯

作 川口眞帆子
原詞 丹羽 孝
補綴 豊竹英大夫
演出 桐竹 紋寿
作曲 鶴澤 清友 ほか
企画制作 豊竹英大夫

浄瑠璃  豊竹英大夫
      豊竹 希大夫
      豊竹 亘大夫

三味線  鶴澤 清友
       竹澤 團吾
       鶴澤 清公

人形役割 キリスト 桐竹勘十郎
       マリア  吉田勘弥
       ペテロ  桐竹紋秀
       ヤイロ  吉田蓑紫郎
       ヤイロの娘 桐竹勘次郎

人形師   吉田勘市
        吉田蓑次
        桐竹勘介
        吉田蓑之

休憩 20分

能 聖パウロの回心

能作・演出  観世清河寿
台本創作   林望
狂言演出   野村萬斎
協力・助言  高橋みずほ

サウロ(パウロ)  観世清河寿
復活のイエス

アナニア      坂口貴信
ユダヤ教の大祭司 森常好
ダマスコの里人   野村萬斎
旅人          高野和憲

笛 一噌 隆之
小鼓 鵜沢洋太郎
大鼓 柿原弘和
太鼓 観世元伯

後見 山階弥右衛門
    上田公威
    野村昌司

地謡 岡 久広
    観世芳伸
    関根知孝
    浅見重好
    藤波重彦
    角 幸二郎
    清水義也
    坂井音晴

オルガン 長畑 俊道

19:50~21:10



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上演中は睡眠中? [文楽]

かつて親しくしていただいた畑中良輔先生は、声楽家でありながら、音楽について文章をお書きになっていた。初めて書いたのが昭和17年だというから、声楽家としてのスタートよりも早いことになる。新国立劇場のオペラ公演の初日には必ずお出でになっていて、ロビーでコーヒーをご馳走になることが毎回のことだった。

「どうしていつも開演前にコーヒーを飲まれるんですか」

「うん、公演中に眠くなると困るから」

「先生でも眠くなることがあるんですか」

「もちろん、だから絶対に寝ないように必ずコーヒーを飲むの」

それ以来、天使も劇場に行くと開演前は必ず普段は飲まないコーヒーを飲み、カフェインの入ったドリンク剤を用心のために飲む。可能ならば幕間ごとに。コーヒーのカフェインだけで眠気がなくなるとも思えないのだが、まあ自己暗示みたいなものであろう。

天使はもちろん自腹でチケットを買う。プログラムや筋書の類も必ず買う。それに交通費などを入れたら、毎回の出費は少なくないのだが、舞台で繰り広げられる世界にふれることができるだけで、全てを忘れることができる。舞台芸術が何より好きなのだ。心より愛している。

さて、先月の新橋演舞場の歌舞伎で、演劇評論家や演劇記者が揃って舞台を観る日「御社」の日の惨状を海老蔵が自身のブログに書いていた。そんなに寝られるものだろうか?まあ、多少のウトウトはあるだろうけれど、いささか誇張されたものだと思っていた。

ところが文楽の二月公演の客席目撃した光景は、想像を絶するものだった。ここまで酷いとは、怒りを通り越して、呆れ果て、悲しかった。とても舞台を愛している人々とは言い難いものだったからである。舞台上の出演者に大変失礼な行為だと思うが、彼らにはそうした意識はないらしい。興行会社から無料でチケットを与えられ、筋書をはじめとする資料を渡され、昼食をあてがわれ、コーヒーなどの飲み物もあって至れり尽くせり。新聞の演劇担当であれば、劇場までの交通費まで支給されているのではないだろうか。

それなのに上演中にほぼ全員が寝ているとは言語道断である。ある人は首下がり病?のように首を前に傾け、ある人は首を後ろに倒し、顔を天井を向いている。マスクをしているので、口をあけてといった浅ましい姿だけは見られないようにしている。イビキだけはかかないという名人芸があるらしい。

集団催眠術か昼食に睡眠薬でも仕掛けられていたのであろうか。文楽最長老の住大夫の語りを前にしてほぼ全員が寝ているのは残念なことである。海老蔵が憤りを感じたのも無理はない。高齢の男性が多いので仕方ないのかもしれないが、その下品なふるまいは、大阪の市長の無茶苦茶な主張と大差ない。彼らを批判するなら、まず自らの観劇態度から変えるべきだろう。少なくとも上演中に起きていられないならチケット代金は返上するべきだ。演劇評論家という特権階級?意識があって、当然の待遇と勘違いしていたとしたら鼻持ちならない連中である。かつて存在した総会屋と変わらないといったら言い過ぎだろうか。

誰が盛大に寝ていたか武士の情けで公表は控える。
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能と文楽 東日本大震災 鎮魂と復興の祈りをこめて チケット発売中! [文楽]



ツィイメルマンのコンサートから戻り、クラウディオ・アバドの死に思いを巡らせていたら眠れなくなった。深夜2時を過ぎて朝刊が配達された音がした。普段ならそのまま寝てしまうのだが、眠れないので新聞を取りに行き読み始めた。

真先に目に飛び込んできたのは、文楽の英大夫の顔写真。「能と文楽の競演 3月11日に」と題されたPR記事だった。前から観たい観たいと思っていた「ゴスペル・イン・文楽 イエスキリストの生涯」を上演するという。しかも能楽堂で観世清和の「聖パウロの回心」と同時上演だという。深夜にもかかわらずWEBを通して早速に予約した。

天使は英大夫が大好きである。愛しているといってもよい。もっとも最初から英大夫が好きだったわけではなく、むしろその存在を意識することなどなかったといってよいくらいだった。むしろ初めて文楽を観た日から同世代の貴大夫を応援していた。

その貴大夫が数年前亡くなった。何故死んでしまったのか天使にはわからなかったので、WEBで調べるうちたどりついたのが英大夫のホームページだったのだ。兄弟子で悩みを持った貴大夫に聖書を読むことをすすめたりしていたのを知った。英大夫はクリスチャンだったのである。

天使はもちろんクリスチャンではない。でも、貴大夫に愛の手を差し伸べようとした英大夫の行動に深く感動した。その英大夫の信仰とはいったいなんだろう。キリスト教に興味を持ったきっかけは、英大夫であることには間違いがない。そして今、天使は教会の重い扉を自ら開いて日曜日ごとに礼拝に通う。いまだに洗礼するかどうかはわからないが、教会へ導いてくれたのは英大夫の存在があってのことである。彼の愛が天使を教会に進む道を開いてくれたとしたら、それは神様の計らいだったのかもしれないとも思う。

文楽とキリスト教という一見結び付けられそうもないものが、どのように表現されているのか興味は尽きない。平日のことゆえ、本当に観られるかどうかわからないのだが、神様のお導きによって必ず観られると信じている。

能と文楽

「ゴスペル・イン・文楽 イエスキリストの生涯」
豊竹英大夫 鶴澤清友 桐竹勘十郎
「聖パウロの回心」(台本創作:林望)
観世清和

お話 林望(作家)
    西本ゆか(朝日新聞)

平成25年3月11日(火)

昼の部:13時開演(12時30分開場)
夜の部:18時開演(17時30分開場)

会場:観世能楽堂

チケットのお申込み
●入場料
SS席 15,000円
S席 12,500円
A席 10,000円
B席 8,000円

●チケットお申込み方法&お問い合わせ

観世能楽堂 [電話]03-3469-5241

観世ネット・インターネット販売

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