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オペラ 沈黙  松村禎三=作曲 遠藤周作=原作 新国立劇場中劇場 [オペラ]

1549年にフランシスコ・サビエルの初来日以来、幾多の迫害を受けながら日本にも定着した?キリスト教。もちろん熱心な信者の方々も大勢おられる。しかし、大多数の日本人は小綺麗なチャペルで外国人タレント?の牧師によって結婚式を挙げ(キリスト教式は90%近いのだとか)、クリスマスにはツリーを飾ったり、派手な電飾で自宅をビカビカにしたりする。クリスマスのケーキやフライドチキン、バレンタインのチョコレートなど、節分の恵方巻きと同じくらい商業主義優先の胡散臭さなのだが、年中行事としてすっかり定着している。さて、命がけで日本に渡り殉教した宣教師たちは、こんな現代の日本の宗教事情をどのように見守ってくれているのだろうか。

遠藤周作の『沈黙』は、1993年11月4日~6日、サントリー音楽財団の委嘱により故若杉弘氏の指揮、鈴木敬介氏の演出によって初演された作曲家・松村禎三氏による唯一のオペラ作品である。1995年、2000年、2003年、2005年と上演されてきて、新国立劇場の新制作としては二度目の上演である。

初めて読んだ遠藤周作の作品がTVのCMの影響もあって「狐狸庵閑話」だったこともあり、キリスト教をテーマとした作品群は読んだことがなかった。生前、講演会に出かけたこともあったのだが、自宅へ空き巣が侵入した事件の直後だったこともあって元気がなかったという印象しかない。一方、作曲家・松村禎三の名前を初めて知ったのは、高校生の時に田舎の町にやってきた水上勉=作、木村光一=演出の『越前竹人形』の巡演でのことだった。だから、遠藤周作のキリスト教をテーマにした小説世界に接するのも、松村禎二の音楽に本格的に耳を傾けるのも初めての体験となった。

さて3月11日の東日本大震災以来、神の存在を疑わなかった日本人はいなかったのではないだろうか。実に約2万人もの死者・行方不明者、原発事故で故郷から避難し帰れない十数万の人々。第1幕の「水磔」の場では、宗教的な迫害と自然災害の違いはあっても、海に飲み込まれて命を落とす人を前に心を激しく揺す振られずにおられなかった。作曲者が意図したことではないのだが、今の日本人には避けて通れない事象である。何故、あんなに多くの人が悲しい目にあわなければならなかったのか?このオペラでは、その答えが音楽を通して観客に語られ実に感動的である。

原作は途中までしか読んでいなくて、結末はどうなるか知らないままオペラを観ることになる。多くの殉教者を前に、何も語ろうとせず「沈黙」する「神」。作曲家・松村禎三は「神の声」をどのように表現するのか?幕切れで、多くの信者の命を救うため、ついに踏み絵を踏むことになる宣教師ロドリゴ。そこで流れてきた音楽は歌詞こそないけれど「神の言葉」を間違いなく表現していた。それは文楽人形浄瑠璃の三味線、特に名人と呼ばれるような三味線弾きの奏でる音楽が、大夫の伴奏音楽などではなく、人形の舞台を含め全てを雄弁に語ることがあることに似ていた。時として現代音楽の叩きつけるような奏法や不協和音があるかと思えば、この上なく美しいメロディが歌われる瞬間もあって、この作曲家の全てが、この最初にして最後のオペラにこめられているように思えた。

帰りの地下鉄の車両で、恐る恐る文庫本を開いて最後の数ページを読んでみた。そこには、先程の舞台で感じたのと同じ言葉が並んでいた。音楽が「神の言葉」を語っていたのだった。あまりの感動に涙がポロポロとこぼれた。13年にわたって作曲した松村禎三も素晴らしいに違いないのだが、それを余すことろなく心からの共感を持って表現した下野竜也が指揮する東京交響楽団に心から拍手を贈りたい。オーケストラピットに納まりきれないオルガンとティンパニを除く打楽器群は地下2階のオーケストラリハーサル室で演奏されて中継ということで、ピットのティンパニに側にPA用のスピーカーが置かれていた。もっとも上手の仮花道?の部分には幕に囲まれたスペースにオルガン奏者がいったような気がする。音響の工夫からなのか不自然さはあまり感じなかった。

歌手陣もすでに歌った経験者も多かったからか安定していて、舞台上部に投影される字幕に頼らなくても聴き取ることのできる明確な日本語で満足。特に出ずっぱりで大活躍のロドリゴ役の小原啓楼の力強いテノールの声が印象に残った。「足には祈りのかたちがない」とは、数千人の死者を出した巨大台風を前にした詩人の言葉だが、最後に「踏み絵」を踏んだロドリゴの足には「祈り」があった。歌唱ばかりでなく芝居も上手いイケメン歌手だった。

演出は演劇部門の芸術監督を務める宮田慶子。円形劇場にも似たすり鉢型の中劇場の空間を演劇『わが町』では持て余してしまい効果を上げられていなかったが、今回は黒こげ?の傾いた巨大な十字架と回り舞台、階段状の部分のみのシンプルで象徴的な舞台装置と照明だけで多場面を表現して成功していた。常に観客の視線を集める舞台の中心には、ロドリゴまたは裏切り者のキチジローを配し芝居を進行していくので、キリストとユダにも似た関係性が浮び上がり巧みである。ただし、牢でロドリゴが自問自答する場面だけは単調にすぎてしまって苦しみが、なかなか伝わってこないのが残念だったが、その後の幕切れの感動が多少の不満も吹き飛ばしてくれたので帳消し。新制作ゆえに全てが完璧とはいえないのが当然なのだが・・・。歌舞伎衣裳のような様式美を離れ、洋服の生地で造ったようなデフォルメされた奉行の裃など悪くはないが、井上役の大小の二本差しの不自然さは素人臭くて気になった。

近いうちに再演が望ましいのだが、いかに優れた舞台であっても邦人作品の再演がなかなか実現しないのが今の新国立劇場でもある。外国人が混じらない久しぶりの舞台も日本語上演なので当たり前といえば当たり前なのだが、一般の作品でも以前のような日本人の主役を含んだダブルキャストでの上演が実現しないものだろうか。日本の歌劇場であるのに、歌手、指揮者、演出家のいずれもが海外の新人や中堅の踏み台になっているような気がしてならない。日本人にも国内での活躍の場を与えなければ何事も始まらないだろうに。

そしてロビーでは、天使が最もお目にかかりたかった方と思いがけなくお会いすることができて感激。神様がとはいわないが、赤い糸ならぬ赤いマフラーで結ばれていたのかも。嬉しかった。

2012年2月16日(木) 18時30分開演 

原作 遠藤 周作
台本・作曲 松村 禎三

指揮 下野 竜也
演出 宮田 慶子
美術 池田 ともゆき
衣裳 半田 悦子
照明 川口 雅弘

ロドリゴ 小原 啓楼
フェレイラ 与名城 敬
ヴァリニャーノ 大沼 徹
キチジロー 枡 貴志
モキチ 鈴木 准
オハル 石橋 栄実
おまつ 増田 弥生
少年 小林 由佳
じさま 大久保 眞
老人 大久保光哉
チョウキチ 加茂下 稔
井上筑後守 三戸 大久
通辞 町 英和
役人・番人 峰 茂樹
牢番 川村 章仁
刑史A 丸山 哲弘
刑史B 大森 いちえい
侍 佐藤 勝司
修道士 半田 爾

管弦楽 東京交響楽団
合唱 新国立劇場合唱団
児童合唱 世田谷ジュニア合唱団

上演時間 1幕 65分 休憩 25分 2幕 75分
《18時30分開演、21時20分終演》
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